参加型、ワークショップ型の授業が広がればいいなぁと思っているし、
もっと自分のことを話し、相手のことを聞ける授業になればいいなぁと思っています。
けれどそれは時に、ある人にとってはしんどいことだったり、避けたいことだったりする場合があります。それを無理にさせることは、時に暴力になるかもしれません。
その日たまたま調子が悪かったり、何か辛いことがあって人と話し合ったりする気分じゃなかったり、扱うテーマが自分ごとすぎてしんどかったり、理由はいろいろかもしれませんが、「今日は参加しません」という心と体の声も、大事にしたいと思っている。そんな思いの先生がやっている大学の授業にお邪魔しました。
受講生30人ぐらいの、社会福祉系の学部の保育士養成の授業。
教室に入ると、名札の横に、こんな子たちが置かれています。
これは、「今日は参加しません」のしるし。
いろんな理由で今日は参加しない、できない、という学生さんが、これを持って座れば、「その教室空間にはいるけれど、授業参加は強要されない」ということが可能になります。
先生は、その日はその学生さんをそっとしておきます。
教育業界ではあまり耳慣れませんが、福祉の世界では、「自己覚知」ということがとても大事にされています。分かりやすくいうと「自分を知る」こと。自分の価値観や、感情の動きや、行動のくせなどを洞察し、自己理解を深め、意識の下に置いておくことで対人援助の現場で自分をコントロールできるようになります。
「やらなければいけないからやる」「やってはいけないからやらない」ということに子どもの頃からすっかり慣れている学生さんたちも多い中で、「参加する/しない」の判断も自分でしていいし、してほしい。それは、自己覚知が職業的に重要になってくる保育士養成の授業だからこそ余計に、そう願っているのだということでした。
パスOK、というルールはワークショップなどではよく耳にしますが、学校の授業では(特にその瞬間意見を言わなくてもいいという意味ではなく、そもそもその授業に参加しないという意味でのパス)はあまり聞いたことがありません。
アクティブラーニングが叫ばれ、コミュニケーションのある双方向の授業が推奨される今の流れの中で、大学以外の学校現場でも、とても重要な視点ではないかと思います。